| 1961年2月7日 福岡県博多で生まれ、与論島で十代を過ごす。
父、金子清美は、写真家である土門拳の弟子であった。
父の美に対する妥協を許さ ない、リアリズムの追求を見て、芸術とはを学ぶ。
またヨロン島に石垣焼の基盤になるよろん焼を創立に至るまで、
奄美群島が日本復帰直後、ヨロン島その他の島々の島民の生活の現状を目の当たりにして
日本本土との落差を無くすため、観光という「光」を当てることを考え、
当時めずらしかった陸海空、水中の写真の全国個展キャラバンやテレビ、雑誌、新聞などの媒体、
国鉄時代の駅張り広告の代表であったディスカバーJAPANの写真掲載などあらゆる露出をし、
1日も早く光が当たり観光地として成長すべく奔走した父、それを黙ってじっと支えてきた母の背中を見て、
芸術とは、生きることとは、そしてともに生きる意味を学ぶ。
東京航空専門学校にてパイロット免許取得後20歳で渡米、芸術大学にはあえて進学せず、陶芸の世界を別の面から学ぶ事となる。
大学でマーケテイングを専攻しながら(インディアナ州立大学ビジネスマーケティング科卒)、
アメリカで陶芸家、画家、彫刻家はもちろんの事、映画関係者、経済、物理、科学、数学、哲学、宗教学者など
色々な世界の考え方を学び、影響を受ける。
またアメリカやメキシコ、ヨーロッパの美術館、有名レストランなどを歴訪し、
日本でも神社仏閣などを訪ね、日本文化、歴史も自分の目で見て全国を旅する。
また陶芸では、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなどと、世界中を旅し、焼物を見学してまわり、深い感銘をうける。
ロサンゼルスでは証券会社にて金融業務を実践し、日本帰国後は大手広告代理店で
トイ‘ざ’ラスなどワールドクライアントを新規開拓するなど、マーケテイングの第一線で活躍する。
社会問題であったエイズに取り組み、日本で初めて‘Stop The AIDS’コンサートを行うなど、
社会貢献に積極的に関わってきた。
1999年6月20日に当主として石垣焼窯元設立後は、
陶器とガラスの融合を基とした石垣焼の数々のイベントをプロデュース、
亡くなった父母、姉の芸術哲学と信念を胸に刻み世界へ羽ばたくべく奔走している。
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